概要
イギリスにおける社会保障制度の一つ、NHS(国民健康サービス)による拠点病院を中心に、脳神経外科医としてさまざまな症例の患者の治療に携わってきた著者。65歳でNHSを引退してからは、ネパール、ウクライナで外科医として現地の医師をアシストする立場として活躍していました。
その中で、新型コロナウイルスの蔓延により国境をまたぐ活動が難しくなります。また、著者は前立腺に違和感を覚えるようになっていましたが、パンデミックに公私ともに翻弄されていました。こうした混乱が一段落した上で前立腺を同僚の医師に見てもらったところ、進行性のがんに冒されていることがわかります。ホルモン治療や放射線治療を続ける中、自らの生と死の間で揺らぐ心情や様々な形で現れる老いへの落胆が日常の描写とともに綴られます。その合間に、人間をはじめとする生命活動や地球との関係性、人間が持つ無意識と有意識の間にある関係性といった自然科学的な現象についての著者自身の考えが、冷静かつ俯瞰的な見地によって展開されます。
所感
一人の人間としての医師が、後戻りのできない病に冒されたときの心情の変化について、少しだけうかがい知ることができた気がします。
医学生から研修医を経て、一人前の医師としてのアイデンティティを確立してゆく中で、「病気にかかるのは患者だけで、自分たちは関係ない」といった、非医療従事者からは理解することが難しい考え方が定着してゆく事例が、著者自らの体験談を交えながら紹介されています。本来は医師も一人の人間ですが、あらゆる症例を学んでゆく中、自身の体に出た症状が軽微なものでも「大病にかかったのでは」という不安を抱く傾向があるようです。こうした不安から逃れるため、「自分たちは病気には関係ない」という心持ちを抱くようになるとのことです。
上記のような一種の「強がり」的な心持ちは、医者に限らずほかの職業にも当てはまりそうに思えました。 そして、この「強がり」は時として自身の足かせになってしまうことを、この本から学び取ることができたように思えます。
著者は、パンデミックが尾を引く中で前々から違和感を覚えていた前立腺の検査を受けます。その結果が明らかになったときの著者自身の反応が記された一節のことでした。血液検査の結果、前立腺がんの指標となるPSA値が、同がん患者の大部分で示される値よりも遙かに高いとわかったときです。
著者は検査の日、自転車を使って病院に行ったことから、「自転車のサドルが尻に圧力をかけてPSA値を上げるおそれがある話を読んだことがあった」ということと結びつけて、PSA値が上がったのは自転車を使ったため「検査は間違いだ」と自分に言い聞かせます。 しかし検査の結果、PSAの異常値はそうした要因ではありませんでした。その上で、進行性の前立腺がんに冒されていることが判明します。広範囲に転移しているかどうかは、さらに結果を待つ必要がありました。 結果が判明するまでの間、医療従事者としての冷静さがあたかもすっぽりと欠けてしまったように、著者自身が動揺する様子が綴られます。
こうした隠しきれぬ動揺を文章からうかがったことが、私にとって大きな驚きでした。 この本の場合、これまで数多くの患者や症例を目にし、さらに治療に携わってきた当事者ががんに冒されると、医師という確固としたアイデンティティが一枚の布のように、軽々と遠くに飛んでしまうように思えました。 そこには「強がり」といった心持ちはなく、一人の人間として病に立ち向かう様子が当事者の自身の手によって綴られています。
がんの判明後、治療の日々においても、生への望みと死への絶望の間で揺れ動く著者自身の心情が細かく描写されます。 著者が日々続けているウォーキングやランニングの途中、これからの人生を考えて落ち込む様子、またはそれとは逆に自身で希望的な観測を見いだしている様子もあります。
著者が日常生活の様子について綴った数々の部分も深く心に残りました。 趣味の木工、孫娘に聞かせるためのオリジナルの童話を考える様子、パンデミックの中、離れたところで暮らすことになった妻の体調を案ずる様子などが話題になります。こうした様子からは、目の前のささやかな日常に対する著者のあたたかいまなざしを感じられます。
この本に限らず、どんな状況で窮地に立たされても「望みを忘れてはならない」とは幾度も耳にした言葉かもしれません。 それはなぜかと思った時、この本の著者が、残された人生の時をかみしめながら「今目の前にある日常」を生きる姿を思い出すことが、心に深くこの言葉を切り刻むための重しとなるだろうと思いました。
書籍情報
『残された時間—脳外科医マーシュ、がんと生きる』
ヘンリー・マーシュ 著、小田嶋由美子 訳、仲野徹 監修、みすず書房、2024年発行